宝林山東養寺は,「時宗」という日本の仏教の中の一向派の寺です。鎌倉時代末期,貴族や一部の武士に限られていた仏教信仰を,一遍上人(宗祖:1239〜1289)によって,「誰でも,どんな時でも,声を出して南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行ける」と,一般の人々に広めたのが時宗のはじまりです。
また,浄土宗,浄土真宗,時宗など念仏を唱える宗派のことを「念仏宗」ともいい,時宗という名の由来は「念仏を唱える集団=時衆」から伝わった名称です。
一遍上人の布教は回国遊行と呼ばれ,それは,後に弟子の聖戒によって編纂された絵巻物『一遍聖絵』(絵師:円伊の作。京都市・歓喜光寺の国宝)に描かれていますが,東養寺の天井絵として,細密な模写をご覧いただけます。
東養寺は,一遍上人が亡くなって十年目の1299(正安元)年に,真教上人(二祖)によって創建されました。
境内にはモリアオガエル・サンショウウオの産卵地,水芭蕉の池があり,錦鯉を放生しています。
敗戦後,戦死病没者の村葬が禁止され,公には供養されませんでした。そこで先住職の心瞭が全村の戦没者名簿を作成し,遺族を招いて法要を行ってきました。そして,1975(昭和50)年には,時衆の教えである〈怨親平等敵味方供養〉のため,また,戦争従事の犬馬の霊を弔うために「護国救世白衣観音菩薩像」として建立されました。
(関係する写真は後ほど掲載します)