●● 東養寺と時宗 ●●

東養寺  宝林山東養寺とうようじは,「時宗じしゅう」という日本の仏教の中の一向派の寺です。鎌倉時代末期,貴族や一部の武士に限られていた仏教信仰を,一遍いっぺん上人(宗祖:1239〜1289)によって,「誰でも,どんな時でも,声を出して南無阿弥陀仏なむあみだぶつと唱えれば極楽浄土ごくらくじょうどに行ける」と,一般の人々に広めたのが時宗のはじまりです。一遍上人像 また,浄土宗,浄土真宗,時宗など念仏を唱える宗派のことを「念仏宗ねんぶつしゅう」ともいい,時宗という名の由来は「念仏を唱える集団=時衆」から伝わった名称です。
 一遍上人の布教は回国遊行ゆぎょうと呼ばれ,それは,後に弟子の聖戒しょうかいによって編纂された絵巻物『一遍聖絵いっぺんひじりえ(絵師:円伊の作。京都市・歓喜光寺かんぎこうじの国宝)に描かれていますが,東養寺の天井絵として,細密な模写をご覧いただけます。
 東養寺は,一遍上人が亡くなって十年目の1299(正安元)年に,真教しんきょう上人(二祖)によって創建されました。
 境内にはモリアオガエル・サンショウウオの産卵地,水芭蕉の池があり,錦鯉を放生しています。

 敗戦後,戦死病没者の村葬が禁止され,公には供養されませんでした。そこで先住職の心瞭が全村の戦没者名簿を作成し,遺族を招いて法要ほうようを行ってきました。そして,1975(昭和50)年には,時衆の教えである〈怨親おんじん平等敵味方供養〉のため,また,戦争従事の犬馬の霊をとむらうために「護国救世白衣観音菩薩像」として建立されました。


(関係する写真は後ほど掲載します)

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